供述調書

恋愛猥褻罪を犯した男女の取り調べ日記

選ぶこと 人生はうなぎ丼

選んで生きてきた。

 

学校も職場も友達や彼女も。

朝、眠気眼をこすりながら袖を通したシャツも、

昼、行列を避けながら食べたランチも

夜、仕事帰りに見た映画まで。

 

人生を左右するような岐路にたち、

何日も頭を抱えた選択も

コンビニで思わず手にとったお菓子みたいに取るに足らない小さな選択も

全部自分の意思で選んできた。

 

時には僕が選んでも、選ばれないこともあった。

学校や企業、好きだった女の子、疎遠になっていった友達。

 

こと恋愛に関しては選ばれないことのほうが多かったのではないだろうか。涙。

 

でも「恋愛は日常に刺激を与えてくれる」

 

そろそろ所帯を持ってもいい歳にさしかかる

男の言うセリフではないが…。

 

あるお笑い芸人がテレビでこんなことを言っていた。

「自分が重箱に敷き詰められた真っ白なごはんなら、おっぱい(=女性)が鰻であり、趣味や仕事は山椒(=スパイス)にすぎない。忙しいからとか趣味のほうが楽しいからと言って女性を避けていく生き方は山椒ばっかり食べてるようなもんだ」と。

 

この方である。


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僕もこの意見には賛成だ。

でもこれから先、自分の人生の鰻が「おっぱい」であり続けていくのはなんとも寂しいような気もする。

 

僕は決して婚前交渉を忌み嫌う村で育ち戒律を律儀に守り続ける童貞でもなければ、ちんこが女の唾液と涙にまみれた鬼畜なヤリチンでもない。

ナンパやデートが好きというだけの

肩書きでいうとどこにでもいるアラサーのサラリーマンの男である。

 

僕は14歳だった中2の秋に同じ中学の同級生だった女の子と初めてお付き合いをした。

男女数人で行ったカラオケの部屋で二人きりにされ、「好きです!おれと付き合ってや!」と言ったはいいものの、緊張して右手に握りしめていたマイクを使い、声を大にして想いを告げたのは未だに謎である。

 

もしかしたら昼時だっただけに「付き合ってくれるかな?」→

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こんな流れを期待していたのだろうか。

おー怖っ!

 

そして、僕たちは付き合うこととなり、

目もあてられないほどの眩しい月日を過ごした。

放課後に四つ葉のクローバーを二人で二時間程探したこともあった。

当時流行っていた浜崎あゆみの歌なんかをイヤホンを分け合いながら聴いた。

手紙も沢山かいた。もし今の自分がその手紙を見たらどんなリアクションをとるのだろうか。

 

そして約1年半の時を経て中3の2月、

母子家庭だった彼女の家に転がり込み、僕たちは禍々しいお互いの性器を接触させた。

歴史で言うところのいわゆる「人類がはじめて火を使った瞬間」である。

僕たちにとっての初めての点火は、

わずか数秒で終わったのはなんとも趣深い。 

(俗に言う みこすり何とかである。)

 

僕たち、いや…訂正する。

僕は、やり場のない欲望をそこはかとなくたぎらせていた。

 

「エッチなことがしたい!」

 

それはまるで「マンモスの生肉ばかりもう飽きた、おいしいものを食べたい!」

「洞窟の中は寒い!早く春よ来い!」と祈る

原人たちとあい通ずるものがあった。

 

エッチなことがしたいという日に日に募る強い感情とはうらはらに、僕は自分の「生肉」を調理しきれずにいた。

いつも見つめては磨き、磨いては腐らせてを繰り返していた。磨きすぎてティッシュだけがいたずらに消費された。

 

そんな中、この「火の使用」は革命をおこした。

以降、僕らは…ここは訂正しない。

僕たちは度々「火を起こした」。

調理方法の幅が広がり、生肉を焼いたり炙ったり燻したり(挿入、口淫、手淫)した。

雲ひとつない青空の下、調理するこもあった。

 

そして爽やかな緑たちがそよ風にゆれる高2の春まで僕たちは火を起こし続け、そして別れた。

 

彼女と別れるという選択をしたあの日から

今日という日を迎えるまでに数えきれないくらいの選択を繰り返してきたと思う。

 

取るに足らない些細な選択の連続が、結果奇跡的な出来事につながったこともあった。 

(あの日あの時あの場所で~的な出会いなど) 

 

良いこともあれば悪いこともある。

でも自分が決めたのだから文句は言えない。

カッコはつけたいけど、少なからずその選択をしてしまった自分を受け入れれず、後悔した(している)選択も沢山あった。

 

今日初めてこのブログをかいた。

 

この選択が自分にとってどういう結果となって返ってくるのかは未知数だが、

 

「ちんこ握るよりペン握れ」

「マスをかくよりブログかけ」

 

ギリシャの哲学者も言ったことだし(適当)、

気の向くままにやっていこうと思う。